姉とわたしは年子。
姉は、働きもせず結婚もせず今も実家に寄生し、昼夜逆転生活をしている。
大学院にまで行ったのに、何がしたいんだか、大学助手の話を断りブラブラして、親の知り合いの紹介で小さな出版社に入れて貰った。本人なりに頑張っていたみたいだけれど、やっぱり「普通」とは違うからいろいろ辛くなったらしく、5〜6年で辞めてしまった。
それからは、時々アルバイトで小遣いを稼いでいたみたいだけど、ここ数年は何もしていないはず。
ある意味の引きこもり。
姉は昔から超センシティブで本当に難しい奴。わたしのことが嫌いで嫌いで、小学生の頃に「お前のおねーちゃんぢゃない!おねぇちゃんって呼ぶな!」と激しく怒鳴り…それから家族全員が姉を「◯◯ちゃん」と呼ぶようになった。
じいちゃんばあちゃんは、小さい頃から病弱だった姉をますます甘やかした。
姉はスタイルが良く、見かけも悪くないから子ども時代からモテていたはず。でも、「太っている」とか「フグに似ている」とか、友だち(勿論わたしにも)に直接言っちゃうから、嫌われるよね…。そのうち苛めも受けたはず。
姉が精神科に通い始めたのは、高校を卒業してからだと思う。だんだん人との距離が出来たんじゃないかな。お決まりパターンの昼夜逆転生活スタート。
機嫌が悪くなると、ものに当たるし何で機嫌が悪いのか分からないし、もう…家庭内はいろんな意味でめちゃくちゃだった。家に居るのが辛かった。
姉は勉強には執着していたから、ちゃんと大学院まで卒業したけれど、ギリギリのところで頑張っていたのかもね。卒業してちょっとしてから本人の希望で、精神科に入院することになった。
わたしは働き始めて5〜6年位したころだったか、昼休みにPHS(懐かしい)から姉の病院に電話をしたのを今でも覚えている。かわいそうなのと同時に憎くもあって、わたしの心中も複雑だった。姉には、小さいころから散々いじめられたからね。
入院期間は半年近くだったろうか。退院してしばらくして、出版社に入れてもらったと記憶している。
姉はいつもいつも親に支えて貰っているのに、そのことを今もわかっていないんじゃなかろうか。
姉は鬱病って診断だったけれど、きっと発達障害の二次障害なんだよね…。もう社会復帰不能です!
かく言うわたしも、16歳から30歳まで過食嘔吐症だったから、両親も辛かったと思う。…とは言ってもわたしには親の助け舟はなく、やっとのこと30歳前に一人暮らしをさせて貰って自力で治した。
まあ、わたしが実家を出てから、姉もヒステリックになることが激減したみたいだから良かったんだけど。
改めて思う。幼い頃の発達障害の診断と周りの理解(甘やかすのではなく)が重要なんだと。
療育は必ずしも必要とは思わないけれどね。