障害は可哀想ではない

娘の通う放課後デイサービスには、軽度発達障害児だけではなく、肢体不自由の子や会話できない子、身辺自立が困難な子たちも通って来ている。

デイサービスでは、同じ部屋で一緒に過ごすし、送迎の車が一緒になることもある。

娘は学校のことも、デイサービスのことも家で話すことはほとんどない。
わたしが聞いたら、ポツリと答える感じ。
でも、時々「〇〇くんは喋らないけど笑うとかわいいよ」とか「△△ちゃんは車椅子を自分で動かすんだよ!」などと、デイサービスの様子を自分から話すことがある。

深い考えもなしに「歩けないのは、可哀想だね」と言ったわたしに、娘は「可哀想じゃないよ、大変なだけだよ」と答えた。
娘は、自分の発達障害についても「わたしは可哀想じゃない」と言い切る。

わたしと娘は似ているようで似ていないのかも知れない。わたしは、「生きるのに苦労して来た自分が可哀想」という思いが常にある。でも娘は違う。ちゃんと現実を受け止めている。

幼稚でクズなわたしより、よほど大人だ。