わたしのダメなところ

これまで仕事がすべてであったわたしとしては、「仕事で成果を出し高く評価される」=「生きていて意味がある」と考えていた。責任ある仕事を任せられたり、仕事の結果に良い評価をもらえるようになってから、「仕事が出来る人間が優秀で、出来ない人間は評価に値しない」位に考えるようになっていたかも。その反面、世間体を気にする性分から「いずれは子どもが欲しい」とも望んでいた。

・仕事で成果を出し高い評価を得る
・仕事をしながら、まともな子ども(出来れば優秀なこども)もいる

これが、一番の望みであったが、子どもを生んでからの現実は・・・

・仕事は閑職。妊娠前に得ていた評価は一切なかったものに
・子どもは発達障害

どうよ、これ?

結局、「わたしの仕事人生は、子どもで駄目になった」と、心のどこかで娘を責めているのかもしれない。どこかで「足かせ」と考えいるのかもしれない。
だからこそ、ぐずぐずされたり、こちらが思うような行動が出来なかったりした場合には、「これ以上わたしを苦しめないでよ!!!」と考えてしまうようだ。

正直、娘が発達障害であるかどうかはあまり気にしていない。だって、発達障害は診断名であって、人によっては診断を受けていないだけで「出来ないやつ」はたくさんいるから。
とにかく、わたしは「できないやつ」っていうのが嫌。自分自身が基本的に「できないやつ」であり、努力で何とか克服してきたからこそ、娘のできない部分に直面すると、「努力してよ!」「ぐずぐず言うな!」「我慢しろ!」「何で自分でできないんだよ!」と言いたくなってしまうのだ。

きっと、娘はわたしが子どものころよりも努力しているし我慢もしているんじゃないかな。それなのにもかかわらず・・・。

娘が他の子と同じようにできないのは、仕方のないこと。時間がかかるのは仕方がない。あきらめて待つしかないんだよね。
・・・頭では分かっているんだよー!!

主人からは、
「お前は職人(気質)だから人の上に立って纏めるような仕事は出来ないよ」と言われたことがある。子どもが1歳位のことだったか。
それまでに小グループのリーダーはいくつも経験していたこともあり、主人のことが頭に来て頭に来て離婚したいとさえ思ったくらい、腹が立って仕方なかった。

でも今思えば、確かにそうなのかもしれない。娘は今6歳。
やはりわたしの性格と仕事のやり方を変えられない限り、仕事面で「わたしの思う成功」を手に入れることは出来ないのかもしれない。

仕事での成功はあきらめて(すでに諦めムードだけれど)、育児でがんばるかな?